3Dシーンが、共有された記憶のための空間になるとき。
かつて通っていた小学校の教室を自由に探索できる3D版として再構築していたとき(もっと、もっと大規模な個人プロジェクトの一環として)、当時の写真をもとにさまざまなディテールを追加した。その後、約30年前にそこに一緒にいた友人二人にそのシーンを見せた。
そのうちの一人が、蛍光管の付いた天井の照明に気づいて、こう言った。
「今、何を思い出したかわかる? あの照明の一つに紙飛行機が引っかかっていたんだ。誰がそこに投げたのかも覚えているし、Maria修道女がほうきの柄で取ろうとしていたのも今でも覚えている。でも届かなくて、そのままずっとそこに残っていたんだ。」
私たちの誰も、その出来事を何十年も思い出していなかった。
この話を聞いたあと、私はシーン内の照明の一つの上に、小さな紙飛行機のモデルを追加した。

これは単に3D再構築の中にあるもう一つのオブジェクトではないと思う。そこには、一つの物語を伴うディテールがある。
再構築された仮想シーンを探索することは、私と友人たちが一緒に自分たちの記憶を再構築する助けになった。
